大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

札幌高等裁判所 平成4年(う)7号 判決 1992年7月09日

主文

原判決を破棄する。

被告人を懲役一年六か月及び罰金一億円に処する。

右罰金を完納することができないときは、金二五万円を一日に換算した期間、被告人を労役場に留置する。

この裁判確定の日から四年間、右懲役刑の執行を猶予する。

理由

一  本件控訴の趣意は、弁護人星野卓雄、同鍵尾丞治が連名で提出した平成四年三月三日付及び同月六日付各控訴趣意書に、これに対する答弁は、検察官井上隆久提出の答弁書に各記載のとおりであるから、これらを引用する。

控訴の趣意は、要するに、原判決は、被告人を懲役一年六か月及び罰金一億円に処しているが、その認定する量刑の事情には事実の誤認や評価の誤りがあり、本件で被告人にとつて有利な諸事情を総合すれば、原判決の右量刑は、とりわけ懲役刑に執行猶予を付さなかつた点で重過ぎて不当であり、破棄を免れない、というのである。

二  そこで、記録及び証拠物を調査し、当審における事実取調べの結果をも併せて検討し、以下のとおり判断する。

(一)  被告人は、医師であり、かつ、個人で「甲野病院」を経営し医業を営んでいるものであるが、本件は、その被告人が、所得税を免れようと考え、付添看護料収入等を除外するなどの不正な方法により、所得を秘匿した上、昭和六一年分から昭和六三年分の各所得税につき、いずれも虚偽過少の所得税確定申告書を提出して法定の納期限を徒過させ、もつて、右三年分で合計五億四〇〇五万六六〇〇円の所得税を免れたという事案である(なお、所論にかんがみ検討しても、原判決の認定する本件の主要な量刑の事情について、所論主張のような事実の誤認や評価の誤りは認められない。)。

詳述すると、被告人は、昭和三九年一一月に札幌市中央区内で甲野内科医院を開業し、その後昭和五七年六月ころに至り、同市内において老人医療の特例許可病院である「甲野病院」を開設し、その院長をしていたが、入院患者(本件当時三九三人であつた。)のほとんどが要介護老人であつたことから、開設後間もなく、「互助会甲野」という組織を作り会長に病院の事務長Aを充てるなどした上、この「互助会甲野」において、付添看護のための補助者(以下「ヘルパー」という。)を採用し、職員に準じて教育、指導、監督などをさせるとともに、その一方で、老人保健法に基づき、市町村から入院中の要介護患者又は家族に支給される付添看護料につき、右の患者又は家族から委任を受けて住所地の市町村に対する請求及び受領の手続を代行し、患者ごとに開設し「互助会甲野」が管理する金融機関の口座に各市町村から毎月振り込みを受けるなどし、このようにして管理下に入つた付添看護料のうちから、ヘルパーらに日給又は時給で計算した給料を支給していたところ、毎月相当多額の余剰金が生じた。それというのも、関係法規等に基づく取扱い上、一人のヘルパーが看護することができる患者は二人(後に三人)までと限られていたのに対し、実際にはこの条件を満たすほどにはヘルパーの人数を確保することができなかつたため、一人のヘルパーに右取扱い基準を超える五人前後の患者の看護に当たらせていたのが実態であり、それにもかかわらず右取扱い基準どおり看護が行われているように書類の形式を整えて各市町村に付添看護料を請求し、これに見合う額を受給していたことから、ヘルパーらに給料を支払つてもかなりの余剰金が残つた。そして、この余剰金が、本件三年分の合計で七億六五五四万円余に達し、被告人が秘匿した右三年分の所得合計八億五八六〇万円余のうち、ほぼ九〇パーセントを占めた。しかし、この余剰金は、本来病院経営者である被告人に帰属すべき性質のものではなく、余剰金の発生も、支払者である各市町村に対し付添看護料のいわば水増し請求をしたことに原因があり、被告人が右余剰金を取得すること自体許されないものであるが、これを自らの所得した上、所得税の確定申告に当たつては、全部除外して申告し、そして、この除外を中心とする不正な方法による本件のほ脱税額の合計が前記のとおり五億四〇〇〇万円余の巨額に達した、という事案である。

以上のとおり、本件各犯行は、被告人が、その性質上、自らに帰属しない付添看護料を、しかも、水増し請求により生じた余剰金を自らの所得としながら、この収入を所得から除外したこと、及び他にも多くの所得秘匿の方法を取つたこともあつて、ほ脱税額の合計が前記のとおり巨額に達していたこと等の点で、特に犯情が悪く、その他、一般納税者に与えた悪影響などをも併せ考慮すると、被告人の刑事責任は重いというべきであつて、被告人を懲役一年六か月及び罰金一億円の実刑に処した原判決の量刑も理解できないわけではない。

(二)  しかしながら、更に子細に検討すると、本件では、以下のとおり被告人のため酌むべき諸事情も認められる。

本件のほ脱税額の合計は、前記のとおり五億四〇〇〇万円余であるが、この中には、昭和六二年分につき、自主的な修正申告をして法定納期限経過後一か月以内に納付した四四五四万円余、及び青色申告承認の取消しに伴い増加した二五六二万円余のほか、前記Aが無断借用した(事実上、回収不能)とうかがわれる合計三〇〇〇万円(昭和六一年分と昭和六三年分の合計)を収入に繰り入れたことによる一九〇〇万円も含まれており、以上を控除した場合、そのほ脱税額の合計は四億五〇八八万円余となる。なお、前者について補足すると、被告人は、前記のとおり「甲野病院」を開設したところ、最新の医療設備等を整えた病院であることや被告人の医師としての技量、人柄もあつて盛業となり、昭和六〇年分及び六一年分の所得税額公示順位(いわゆる長者番付)において札幌市で第一位となつたが、マスコミへの対応その他で何かと気苦労が多いことから、公示順位を下げたいと思い、昭和六二年分の確定申告に際し、本来は経費に算入することができない前年納付の所得税七四二四万二一〇〇円をあえて病院経営の経費に計上し、その分所得を圧縮して昭和六三年三月一五日に確定申告し、この方法で、法定の納期限である同日の経過により、この分にかかる所得税四四五四万五二〇〇円を免れた(なお、その犯意に欠ける点はなかつたと認められる。)。ただし、この点に関する限り動機は右のとおりであり、被告人は、公示順位が三月一五日の時点で決まることを知つていたので、同年四月五日、当初の予定どおり自主的に右金額を経費から除外した修正申告をし、右所得税を同月一一日に納付した。また、被告人は、青色申告の資格を有していたが、平成元年五月ころ税務調査及び査察が開始されて本件各犯行が発覚したため、昭和六一年にさかのぼつて青色申告承認の取消しの処分を受け、同年ないし昭和六三年の貸倒引当金のうち一七二五万円及び専従者給与のうち二一四九万七二〇〇円が否認されて、これらの合計三八七四万七二〇〇円が右三年分の被告人の所得に繰り戻され、この関係で増加した所得税が合計約二五六二万九〇〇〇円である。

また、被告人は、各年分とも約三億六〇〇〇万円ないし五億円を超える所得額を申告していずれも相当額の納税を果たしていて、本件三年分のほ脱率平均が約四七パーセントであり、この種事犯、特に一億円を超えるほ脱事犯の中にあつては必ずしも高率とはいえない。もとより、「互助会甲野」も、患者らにとつては煩雑な、市町村に対する付添看護料請求等の事務を病院側が代行し、また、組織的にヘルパーを指導、監督して介護の質の向上を図り、優秀なヘルパーを確保するためなど、医療現場の様々な要請と他の病院の例などを参考にし発足したものであり、現に個々のヘルパーにとつても、病院職員に準じた扱いを受けることにより、介護の効率化が促進され、休息時間や休日の取り方が円滑になるなどのメリットがあつたと認められるもので、もともと付添看護料の不正取得や脱税の手段として組織されたものではなく、本件ではその余剰金の秘匿方法も比較的単純であつたということができる。その他、被告人は、右余剰金の半分以上を被告人自身又は家族名義による株式の購入などに充てたが、投機的な売買はしておらず、かなりの部分は現金のまま自宅に保管(平成元年五月ころ、国税局の調査の際、被告人の自宅内から二億九〇〇〇万円の現金が発見されている。)していたほか、遊興費に充てたなどの事情も見当たらないこと、被告人が本件各犯行の発覚防止策を積極的に講じた形跡はなく、発覚後も、被告人は、事実を認めて査察及び捜査に全面的に協力し、「互助会甲野」を直ちに解散したこと、そして、起訴前に、昭和五九年以降本件を含む五年分につき修正申告をした上、金融機関からの借入などもして、所得税本税(ただし、昭和六二年分にかかる納付済みの前記四四五四万円余を除く。)、加算税、延滞税及び右五年分の地方税の以上合計一一億五八〇〇万円余の追加納付を完了したほか、不当に取得した付添看護料の余剰金についても、各市町村に対し利息分を含め合計四億二九一九万円余を返還し、また、原審及び当審公判廷において自分の非を率直に認めた上、今後同じ過ちを繰り返さない旨を誓うなど、反省の態度も顕著に認められること、被告人の前記病院では、本件を機に再発防止のため経営管理面の整備を行い、経理面でも改善の跡が認められること、被告人は前科前歴がなく、三〇年近くにわたり地域の医療に貢献してきたほか、現に多数の入院患者、職員を抱える前記病院の経営に当たつているものであり、また、前記の借入金を含む多額の借金の返済にも当たつているところ、後記の行政処分は免れないとしても、被告人が服役する事態になれば、右病院経営にも深刻な影響が生じるおそれがあること、被告人は昭和六三年に破裂性腹部動脈瘤等のため手術を受け、人工血管をいれている状況にもあつて、現在もなお健康状態が勝れないこと、被告人ないし右病院に対しては、近い将来、医師法、医療法等に基づく行政処分が予想されること、その他、被告人の年齢、経歴、家族の状況など、被告人のため酌むべき諸事情がある。

そして、これらを総合勘案すると、被告人を懲役一年六か月及び罰金一億円の実刑に処した原判決の量刑は、懲役刑に執行猶予を付さなかつた点において酷に過ぎると判断されるから、原判決は破棄を免れない。論旨は理由がある。

三  そこで、刑訴法三九七条一項、三八一条により原判決を破棄し、同法四〇〇条ただし書により、当裁判所において、更に次のとおり判決する。

原判決が認定した犯罪事実にその挙示する処断刑を出すまでの各法条(刑種の選択を含む。)を適用して、被告人を懲役一年六か月及び罰金一億円に処し、なお、労役場留置につき刑法一八条を、懲役刑の執行猶予につき同法二五条一項を各適用して、主文のとおり判決する。

検察官 井上隆久 公判出席

(裁判長裁判官 鈴木之夫 裁判官 田中 宏 裁判官 木口信之)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例